日本人には不向きだと思うこと

ノルウェースウェーデンとおまけにフィンランド

の人は食事のチョイスが絶妙でシュールストレミング

サルミアッキ等、世界一臭いものも、世界一不味い

といわれる(本人達は愛しているよう)物を好んで

食生活に取り入れていますが、日本には臭い物には蓋

という言葉があるように消臭する事が得意である弊害

として、臭いものを匂う経験が圧倒的に不足している

ように思われます。基本的に臭いと思う尺度が低

すぎるので強い臭いには相対的に弱くなるようです

また旨いもので溢れているので当然不味いと思う尺度

も低く、簡単に不味いと感じていると考えます。

嫁のつくる飯が不味いというスレッドがありますが、

それまで旨い物ばかり食べていたツケだと感じます。

何故なら、フィンランドの人に倣ってサルミアッキ

砕いた物をウォッカに混ぜて、特徴の無いアルコール

を世界一不味い酒に変化させて飲む訓練さえされて

いたならば、不味い物を食べる事が出来ると思われ

ます。つまり嫁の作る飯が不味いというのは一種の

甘えにしか思えません。

不味い物を食べる事は日本人には不向きだと思い、

また、臭い物に慣れるのも不向きであると思います

が、必要があるならばそれらに慣れる事は人生を

変える事と同じです。

まさに愛が試されている。と思います

完全に試練ですね、愉悦部的にはそうした人が試練

に相対するのは完全に愉悦です。

決して他人の不幸が蜜の味という事ではありません

誤解されそうですが、試練は厳しく乗り越える事が

困難であり、もしかすると乗り越える事が不可能で

ある場合もあると思います。

それを乗り越えてこその人間賛歌であるので、ここ

に愉悦を感じるのです。え?やはり性格悪い?

まぁ良くは無いかもしれないですね。

人は可能性の塊ですが、基本的に埋没するのが一般

的だと思います。充分に性能を引き出せている人も

いれば、ぱっとしない人もいます。

であるならば、どうせなら性能を引き出してから

人生を歩んだ方がいいよね!と考えます(出来れば)

結局の所、向き不向きより、意思の強さの方が表に

現れるのでそこの所を意識する。コレが重要だと

思うのです。

なんにせよ臭いに対してはいきなり世界一の臭さに

挑戦する前に、国内であればクサヤなどで少しずつ

しかし継続して自分を少しでも変えていき、クサヤ

が平気になれば世界一に挑戦する。とか

不味い物はいきなり世界一でも我慢するだけなので

構わないと思います。不味いからという理由で吐い

てしまうなら話は別ですが、手っ取り早く不味さに

慣れて後々の時間を有効に使う方が効率よいと思い

ます。

ではまたここまで読んで頂きありがとうございました。