命について考えてみる

20年程前はほとんど寿命による葬式はありませんでした(私の地域ですが)事故で亡くなる人と、殺人によるものか、自殺か。どれかでしたが、最近では頻繁に年齢聞いたら寿命だと推測出来る葬式が増えています。少子高齢化だから当たり前ではあるのですが老衰かまたは老衰に伴う病死です。ときどき60歳以上の人の自殺とかもありますが、尊厳死を出来ない国である以上病気や退屈を拗らせた人がそうするのは簡単に納得出来ます。成長や変化ではなく老化するというのは後戻り出来ない事を明白にし、一端終わってまた一から始まりたい、もしくは終わったままでいいという欲求はどうしようも無いものですが、独善的な人は妙に生き汚い思考回路をしているのですが、そっちの方が私には理解出来ません。

やらない善よりやる偽善といいますが、偽善とイコールするのが独善であった場合はどうでしょうか。

私はでしゃばるな!と感じてしまいます。

ただ、介護施設に務める友人の話ですが70代は若いと感じるらしいです(寿命まだ)

若いという言葉は現在では18歳までだと思うのですが、年をとった人に限って若いの定義が自分より若いというだけで若いと言ったりしているのを見かけると心の中で、そうですねあなたよりは若いです。と付け加えたくなります

60代の人間が50代の人間を若いといか表現するんですから致し方なしです。

女性には更年期があり、それを過ぎているのに若いって表現するのは一種の皮肉です。

命を繋ぐ可能性が0になった時点で生物的にあまり意味はありません。

女性はそうなるのが大体決まっているだけで、男性も枯れたら当然意味は無くなります子供や孫がいる人には意味はあります。

ところで、年をとっても老けない人がたまに現れてますが、老化では無く変化している人がそうなのでは?と考えてます。

理由は私が表面上、大学出たてに見えるらしい事と私は変化している人であるのが自身で分かっているからです。

本来命ある以上変化する事は当たり前の事です。

例えば筋肉の無い状態から脂肪をつけトレーニングをして筋肉にすると変化していますよね。普通のお腹がシックスパックになる。

また、以前は普通だったのに高血圧になる。実はこれは老化に伴う自然な変化で低血圧の人はいますが普通だったのに低血圧になって問題という話はあまり聞かないと思います。

以前は夏は暑く、冬は寒かったのに今は夏は暖かく冬は涼しい程度に感覚が切り替わっているのを実感する(ここ難しいみたいですが)

ようは経験によって体が季節に慣れる事が一番楽だと思います。エアコンは便利ですが

人から経験を奪っています。夏涼しく、冬は暖かく自然に対して和の心が欠如しているのが原因で簡単に暑いとか寒いと言う気温に敏感過ぎる人種が出来上がっているのだと思います。何事も適度に使ってこそですね。気温の落差が激しい地域では使う事が前提

だと思います。命大事にするのは良い事です

ではまた